「お応えします・1」     

     飛び道具などいらない

 

私塾はやしを巣立った生徒は、その後の人生で、自分の受けた「はやし」の学習を人に伝えようと試みたことが、多かれ少なかれきっとあったかと思う。

 

「ただテキストを順々にやっていくんじゃないの」

「頭の中にあるこれまで得た知識に『おいで』って声かけて、全部集めて探りながら考えていくの」

「学習記録をいつもつけていたよ。ただのノートって言うにはもったいないから、それをオレたちは自分だけの授業書だと思っていたよ」など。

 

どれだけ一生懸命言ってみても、肝心なことが伝わった気はしないもどかしさを、味わったかもしれない。それだけ「はやし」は、数えきれないほどたくさんのものでできている多面的な場であるのだと思う。

 

生徒たちは、お膳立てのできた材料を、すでに結果まで印刷済みの教材で習うのと、全く違う種類の手応えを感じているようだ。

                                                                                   

国語でも算数でも、こつこつした学習を確実に積み上げていくと、なかなかの授業書ができる。飛び道具などいらない。早わかりしない。こつこつやっているうちに、きっと何かしら浮かび上がってくる。これは国語・算数という教科に限定されるものではないと考えている。

 

    ナビゲーションにあります「推薦状」に、田村彩恵さんの13年間の学習の様子を記しています。彩恵さんは「~になりたい」というように抽象的に語るのではなく、「自分が~だったら、こういう仕事をしたい」と自分に身をおいて捉えることができました。実生活の中でも他の教科でも、わかったつもりでいるような抽象語を明瞭化することで、萌芽ともいうべき興味・関心を育んでいったかと思います。

    あなたの「素晴らしい未開人」の今後の様子が見えてくるのではないでしょうか。

   

 

       「お応えします」 2・3・4・5・6も引き続きご覧ください。

 

               「お応えします・2」

         お子さんを文字や数の世界に、どう入り込ませてゆくか

 

               「お応えします・3」

         自分の、科学的な感覚で答えをみつける

 

               「お応えします・4」

         視点の発見を求め続ける人で、あり続けてほしい

         書くことは問うこと

         幼稚園からでも「図書研究」「新聞学習」「言葉図鑑」

 

               「お応えします・5」

                頭の裏側を使った

              考えることを教えるのは難しい

 

               「お応えします・6」

          学習の失敗を、あらかじめ組み込んだ上で教える

              まちがいや失敗で子どもは育つ